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リレーエッセイご執筆者に次号のご執筆者をご紹介頂きます2010. 1.  RIETI  LETTER
日本の服飾美を想う顔画像と経歴




学校法人文化学園 理事長 大沼 淳

 文化服装学院の理事長に就任して、ちょうど50年になる。この半世紀を通じて服装教育の管理運営に携わっていると、専門家でなくとも「門前の小僧習わぬ経を読む」のたとえ通り、服飾という専門分野について多少の知識はついてくる。その立場からの感想を述べてみることとする。

 衣食住と言われる生活文化の中で、動物と違い、人間のみが衣服を創造し、発展させ、衣文化を形成して来た。我が国の歴史の中でも、国際関係の広がりやその交流の中で大きく影響しあって変化し、日本の特異な服飾が創造され、そして、独自の美意識を醸成させ、世界史的に見ても見事な文化を築いていることに気がつく。

 飛鳥・天平の昔は、高松塚古墳の壁画に見られるように、その時の衣服は唐風に描かれているが、平安時代に入り、遣唐使が廃止されて唐の影響が薄くなり、藤原氏全盛時代になると、男性の衣冠束帯、女性の十二単が貴族社会の服装として創造され、古典文学とともに独自の日本文化を形成し、「雅」という美意識が生まれている。

RIETI LETTER 表紙画像

 加えてそれまでの甲冑という武具が、関東の野武士達によって鎧兜になり、小札を多彩な糸で威おどして、赤糸縅、紺糸縅、黒革縅等々、多彩なデザインが展開され、武具でさえ見事なファッションに生まれ変わる。そして、その武士達の力によって公地公民制が崩れると応仁の乱からはじまる戦国時代になる。その混乱の中に自由闊達な気風が生まれ、「かぶく」という風俗が表れて、織田信長や前田利家など戦国武将の武具衣装が、自己顕示のシンボルとして美的にも工芸的にも素晴らしいものを生んだ。その象徴としての桃山文化は、朱印船貿易によって海外文化も混ざって独自の文化となり、辻が花などが盛行した。

 やがて戦国の世が終わって平和な時代となり、鎖国政策が進むと再び大きな変化がやってくる。特に、女性のきもの……十二単の下着の小袖が表衣となって、寛文小袖、元禄小袖、享保小袖、化政小袖と独自の発展を遂げ、小袖文化が完成する。小袖は西欧や中国の服と違い、出来上がった着物を想定して模様や糸染、織り方が決まり、柄が上下表裏連動して一幅の絵画となり小袖の模様となる。型染や絞り染め、刺繍や摺箔などの贅沢な技法が駆使され、帯、羽織、など諸々の附属品と組み合わせて、その時代の特色を形づくる。それのみならず、その下絵は、尾形光琳や円山応挙等、国宝の絵画を残したわが国の一流画家によって描かれたと言うものも多く残されている。そんな意味では、小袖文化が日本の絵描きを育てたとも言える。

 その粋ともいえる円山派の絵師が描いた小袖の下絵が大乗寺(応挙寺)で発見され、それをもとに作られた小袖が我が服飾博物館に収蔵されている。いま、本博物館では、江戸時代から呉服商として流行をリードする立場にあった三井家の小袖と、その原寸大の下絵を展示している。

 明治になって西欧文化が流入し、服飾が大きく変化するが、やはり日本が培ってきた美意識の具現がこれからの衣服のデザインの方向を決める重要な要素となることは言うまでもない。日本の美意識の普遍化の教育を推し進めることが大切なことだと思う。



次号は、(株)永谷園代表取締役会長、永谷栄一郎氏にお願いします。
リレーエッセイ 「日本の服飾美を想う」  (リーチレター 2010年1月号)  学校法人文化学園 理事長  大沼 淳

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